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歴史の街 京都 王朝絵巻 2023年5月15日 開催 葵祭 主役 斎王代とは? 起源を わかりやすく解説します。

◆葵祭 祭りの起源

その昔 欽明天皇 (540年〜571年) のとき、飢饉凶作に見舞われ飢餓疫病が流行したため、欽明天皇が勅使をつかわし「鴨の神」の祭礼 4月の吉日に馬に鈴を付けて走らせて 五穀豊穣を 祈ったのが起源とされています。

平安時代中期のころには「祭り」といえば葵祭をさすほど隆盛だった葵祭も 室町時代以降は次第に衰退しはじめます。室町時代の応仁の乱をきっかけに朝廷との関係は絶れてしまい中断されてしまいました。

その後 江戸時代になり、5代将軍、徳川綱吉が 徳川家康が上賀茂神社に求めた葵使について関心を持ち、貞享3年(1685年)5月、上賀茂社に対して、御所に葵を遣わすことの由来や、葵献上によって如何なる世の中の祟り災難悪事が避けられるかと問いかけ関心を寄せていたようです。初代将軍 徳川家康が 天皇家より菊紋 桐紋の下賜を断って使用しつづけた葵の御紋 元々は 京都の賀茂別雷神社、賀茂御祖神社の神紋であり 葵紋の繋がりより5代将軍徳川綱吉の葵に対するこだわりが 賀茂祭において葵を 儀式に定着させる形となったようです。

元禄7年(1694年)、霊元天皇により賀茂祭の再興がなされ、再び宮廷祭祀として復興しましたが 明治維新でまた中断となり 明治16年(1883年)に岩倉具視(ともみ)が復活させましたが すぐに 第2次大戦を きっかけに中止される事になり社頭での神事だけが続けられておりました。
戦後、行列が巡行するようになったのは昭和28年からのことで現在まで続いています。

二年の間 新型コロナウイルスの蔓延で休止しておりましたが 今年 2023年5月15日 五穀豊穣 天下泰平の祈りと共に開催されます。

◆葵祭 名前の由来

内裏神殿の御簾(みす)をはじめ 巡行の行列
本列の(乗尻、検非違使志、検非違使尉、山城使、御幣櫃、内蔵寮史生、馬寮使、牛車、御馬、和琴、舞人、陪従、内蔵使、勅使、牽馬、風流傘)

斎王代列(命婦、女嬬、采女、斎王代)と続き、36頭の馬、4頭の牛、500余名の人が御所車(牛車)、勅使・供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、すべてに葵鬘(あおいかずら)を飾ったことからきている。

◆葵祭の主役 斎王代とは

斎王の代理 の意味で 斎王代という

斎王とは
賀茂神社に御杖代として仕えるために皇室から差し出された内親王 女王のこと。

斎王代は 京都ゆかりの一般人女性が選ばれる これには 一般公募やオーディションなどはなく 選ばれた女性は数千万円の費用を負担できる事が 条件となります。よって 京都の資産家の令嬢が勤める事が 多く 祭の維持に理解のある良家に限られるため 親子三代に渡り斎王代を勤めた例もあります。


◇京都 三大祭 葵祭 祇園祭 時代祭 お楽しみに
葵祭 開催は とても嬉しいです。コロナの前は 毎年たくさんの観光客が 訪れる恒例行事でしたから 開催が、見送られていた時期は コロナ禍で本当に大変な時期でした。
五穀豊穣を祈念する祭が 起源であると共に 天下泰平の祈りも天に届くようお祈りしながら この壮大な王朝絵巻を ゆっくり鑑賞しましょうではありませんか。

寺町 丸太町通り付近で待ちますと 御所より出発した葵祭の行列を 目にする事ができます。
丸太町通りで 行列を鑑賞した帰り道 是非 御所南寺町美術通りを 散策してみてください。

葵祭が開催されている この日 京都に移転してきました 文化庁が ゴールデンウィークの明けました2023年5月15日に京都の新庁舎にて 本格的に業務を 開始します。
益々の歴史と文化の街 京都の発展を 楽しみに骨董 古美術商の視野で出来得ることを 積み重ねていこうと思います。



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