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京都市 家財整理 茶道具 欅長火鉢 薄端などの買取相談に 出張訪問 しました。重い火鉢を運び出しのお手伝いありがとうございました。大変助かりました。今回の鑑定 査定ポイントをわかりやすく丁寧に説明します。

京都市にお住まいのお客様 ホームページを見てご連絡くださいました。

奥の和室に 骨董品 茶道具などのお道具 を 集めておいて下さいました。

「この火鉢が 整理したくて」と欅の長火鉢陶器の大きな火鉢が二つ この処分でお困りの様子でした。

火鉢は 近年 あまり使われなくなった日用品の一つですが 以前は暮らしに欠かせないお道具でした。

火鉢(ひばち)は、陶磁器や金属や木材などでできた器具で、入れた灰の上で炭を燃焼させ、暖房や湯沸かしや簡単な調理を行うもの。火櫃(ひびつ)や火桶(ひおけ)などとも呼びます。

暖を取るや湯を沸かすなどする時に 炭を焚べて使う道具で 現代 エアコンや石油ストーブやガスファンヒーターなどに用途を奪われた古民具といったところでしょうか
この火鉢にも 重宝された時代があり その時 その時代の流行などが ありました。 例えば 陶器製の物でも 産地(日本製 中国製 その他)色 図柄 や作家物など 様々あり 銅製 錫製 銀製の金工の物や 欅や桑 紫檀 黒檀といった高級木材を使用した物など 多種に及びます。

これは 室内調度品としての火鉢の地位が 室内の中心にあり 当時の人々が 趣味趣向によってお洒落や季節感を 楽しんでいたと言えるでしょう。

今回のご相談の火鉢は 欅の長火鉢 陶器製 日本製の物と 丸みを帯びた方の火鉢が 中国製の火鉢で 海鼠釉と呼ばれる斑ら模様の青い釉薬を 掛け流したような肌が特徴です。
裏の畳付きの部分 火鉢の底に 「葛明祥造」と印がある物などがあり 日本の江戸時代から明治期にかけてたくさん日本に輸入された物です。

今回の海鼠釉 唐物 火鉢には 残念ながら 在銘や印はありませんでしたが 釉薬と土から中国製の清時代頃の火鉢と思われます。

欅の長火鉢 これは 関西火鉢と言って 形やデザインより判断します。
長火鉢の種類を ご紹介しましょう。

関西長火鉢 (今回のご相談の長火鉢)

長方形角火鉢の四辺に10cm前後の張が付いた火鉢です。小物が入れられる引出しが付いた物もあります。
この張にお皿、湯のみ、お燗などの食器が置け、数人で軽食などがいただける、輪と団欒が楽しめる火鉢です。

関東長火鉢

角火鉢の右側に引き出しのある袖机を一体化した、直方体の火鉢です。銅壺下部にも引出しがついた物もあり、この中に茶、湯のみ、ふきんなどの小物が入ります。また、袖机上に猫板と呼ばれている板が付いている物もあり、これがお盆の役目をします。

現在 役目を果たし屋根裏や倉庫の片隅に放置されがちな火鉢ですが この中には 希少な美術的な価値のある火鉢も多くございます。

火鉢は灰が そのままに入れてあり 重いので持って行けない わざわざ屋根裏から下ろしてきて 大変な労力を使う前にそのままの状態でけっこうです。ホームページからLINE友達登録していただき お気軽にお写真を 送ってください。

短冊箱
短冊箱に入った 茶道具は お稽古用で 旅箪笥や茶箱などと同じで 茶道具をコンパクトに収納して持ち運びができ どこでも茶道が楽しめるように 茶碗 水指 棗といったお道具が 仕舞われています。


煙草盆 には 火入 が 仕込まれています。茶会などでは 形式的に煙草盆に火入を置き 煙管と共に 鑑賞用として茶席で 回して披露することもあり 普段使いの煙草盆や 茶道具としての鑑賞用の煙草盆などがあります。


今では、愛煙家の方々も煙管 キセルで 煙草を吸うなんて事は なくなりましたので 煙草盆や煙管 火入といったお道具は その用途を終えたと言えます。
しかし 煙草具は 当時のステータスの一面もあり 材質の良い 高級な煙草盆 煙管キセルの金属部分に模様を彫った金工物など面白い趣向の物も数多くあります。

持ち歩き用の腰提げ下げ物と言われる 煙管入れの筒と煙草鞄のセットになった物などもあり 煙管入れ 煙草鞄 煙管の組み合わせを 楽しむことが流行で かっこよく 粋な趣向で競い合いをしていたのでしょう 当時の旦那衆の道楽の一つだったのだと思います。
そういった物に 出会うと嬉しいですね

今回の煙草盆ですが 煙草盆は 漆塗のごく一般的な物でしたが 火入に 染付と青磁の物がありました。

六角型の青磁は 三田青磁 現在 兵庫県 三輪市 にて 復興してますが 古くは 江戸末期から昭和初期ごろまでが 骨董品としての三田青磁で 青磁の発色の美しさに定評のある焼き物です。
六角の形は亀の甲羅の形より亀を表し吉祥の意味で使用されます。五角形は羽根を広げ空を飛翔する鶴の形を表しこちらも吉祥の意で使用します。

染付の火入 道光年製 (1821~1850)

裏の高台内に 道光年製 文字のある 火入で この大きさであれば 香炉としてまた 書道具の筆筒や筆洗などにも転用可能な 利口な物と思います。
同時期の制作でデザインも同じですが 細かく見ると 少し作風が異なります。
箱も無く裸の状態で 無傷である事に 感謝です。

永楽和全の仁清うつし 茶碗
茶道具 時代の箱に入ったお茶碗が 多数 拝見させていただきました。
古くから家にあり 恐らくは 家主の祖父の持ち物だと聞きました。確かに時代のもので 箱も古く しっかり仕舞われていて 近年は 使われず放置されていたようです。

中に 永楽善五郎 和全作の仁清うつしの色絵茶碗を 発見しました。

蓋に 古希 和全とある物です。これは共箱と言って作者が 作品として世に出した証で 和全の作品ですよと 証明書の役割を果たしており 骨董品 特に茶道具を 見るときには 鑑定の指標になる物です。

永樂 和全(えいらく わぜん 1823年(文政6年)-1896年(明治29年)5月7日)は、19世紀に活躍した京焼の陶芸家。 千家十職の一つ、土風炉師・善五郎の十二代である。江戸後期を代表する陶芸家の一人永樂保全(十一代善五郎)の長男で、幼名は仙太郎。十二代善五郎を襲名したのは1843年であり、1871年に息子の得全に善五郎の名を譲って隠居し、以降は善一郎と名乗った。
1852年に義弟・宗三郎(回全)とともに仁清窯跡に御室窯を築窯し、本格的な作陶活動に入った。さらに、44歳で隠居した後も加賀大聖寺藩に招かれて山代で製陶の指導を行うなど、精力的な活動を続けた。保全の残した負債に苦しむなどもしたが、よく後代に基盤を残した。京都の名工

今回のお茶碗の印は 河賓支流の印が押されております。

永楽家・十一代保全(寛政七年1795~嘉永七年1854)が紀州家に招かれ※偕楽園焼を指導したとき紀州徳川家十代治宝公よりこの金印を頂戴しました。
※文政十年(1827)吸江斎宗左が紀州徳川家に召され樂旦入とともに指導したようです。
河濱とは「舜河濱に陶す」という故事に因んでおり、その流れを汲むという意味から支流とされた。
この印は保全・和全・妙全が使った物です。

箱に古希 和全とありますので 古希とは70歳 このことから和全の晩年の作品という事が わかります。

古萩のお茶碗なども拝見させて頂き お茶道具の茶碗ばかり ありますので その他の茶道具 釜や水指などもしかして どこかにあるのでは ないですか?と聞きましたところ 屋根裏に もしかして仕舞ってあるかもしれません また 時季をみて 下ろしてきますので その時にご連絡してもらえる事になりました。

査定価格も快諾頂きありがとうございます。
重い 関西長火鉢を ご主人にお手伝い頂き 全てを 積み終えて終了です。

またのご連絡お待ちしております。
ありがとうございました。

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