三浦竹泉とは
初代 竹泉(1853年(嘉永6年) – 1915年(大正4年)3月19日)
本名「渡邉政吉(駒次郎)」。号「有声居」後「篩月庵」。13歳の時に3代高橋道八に弟子入り。1883年(明治16年)に独立し、五条坂に窯を構える。ヨーロッパの色彩を磁器に応用するなど進取の意に富んだ人物で、京焼の改良に貢献。器用な人物で、得意分野も染付、祥瑞、吹墨、色絵、金襴手など多彩。文人との交流も盛んに行い、書画を趣味とする。また『和漢対象陶説』漢訳版を出版。
二代 竹泉(1882年(明治15年) – 1920年(大正9年))
父の死後襲名。そのわずか5年後に早世。
三代 竹泉(1900年(明治33年) – 1990年(平成2年))
初代竹泉末子。兄二代竹泉早世と兄の子息幼少のため、1921年(大正10年)襲名。1931年(昭和6年)に四代に家督を譲るが以後も「竹軒」と号し製作を続ける。
四代 竹泉(1911年(明治44年) – 1976年(昭和51年))
二代長男。1931年(昭和6年)に四代襲名。主に煎抹茶器を製作。
五代 竹泉(1934年(昭和9年)8月31日[1] – 2021年(令和3年)5月) ※当代
四代長男。幼名「徹」。1957年(昭和32年)同志社大学文学部卒。日本文化史及び美学・芸術学を専攻。父の元で修行の後、1972年(昭和47年)襲名。京焼の歴史研究でも第一人者の一人である。
呉須とは 古くから染付などの磁器に使われているあお色の顔料のことです。 江戸時代初期に中国より有田にもたされたと考えられており 今日では 特定の産地にとどまらず広く陶磁器に使われています。 他の絵の具と違い、呉須は素焼きの状態で着色するため そのあおが色あせることはありません。